槙塚聡のプロフィール

槙塚 幼少期♪

槙塚 幼少期♪


昭和46年5月22日生まれ。
北海道釧路市で生まれました。メッチャ寒い所なんです。皆さんに寒いのは平気でしょ?って聞かれますが、誰よりも寒がりです。高校卒業するまで、そんな極寒の地に住んでいたのに・・・。
幼少ころは大工さんに憧れたり、陶芸家になりたかったりとなぜか職人の世界が好きでした♪

岡崎市に来たきっかけは、三菱の整備の専門学校です。
高校の時、バイク好きだった私に担任の先生が勧めてくれて、言われるがまま「ハイッ! そこに行きます!」 なんとも素直な好青年でした(笑) 専門学校を卒業し、めでたく二級整備士を取得し小さな整備屋さんに就職!!
その後、職人好きの私は、板金塗装屋の技術にひかれ、転職!!
その後が大変でした。 職人の世界は・・・・・。

職人の世界!!
槙塚 見習いの頃

槙塚 見習いの頃

先日テレビ番組で宮大工の特集をやっていました。棟梁がいてその弟子が数人住み込みで修行していました。その棟梁が言ってましたが、昔は若い衆が朝ごはんを作ったり雑用をしていたそうです。完璧な師弟関係で、技術は見て盗めって感じですね。

板金塗装屋も昔はそうだったみたいです。まず就職したら何をやらされかというと、洗濯と炊事だったみたいです。現場では師匠の後ろに引っ付いてガスバーナーを持つだけとか、塗装中にエアーのホースを持つだけの仕事を1年間もやっていたそうです。私がこの業界に入ったときは、そんな話しは大昔の話で、時代が違ってよかったな~!って思ってます。

が、昔からそのように技術を伝えられてきた業種にはマニュアルが少なく、人から教わってない人は、人に教えることも出来ないことが多く、私の師匠も教えることの出来ない人でした。
その師匠は自分では意識せずにキレイに仕上げるのですが、私が失敗しても、その原因が分からないのです。当然見習いの私には分かるはずも無く、毎日が思考錯誤でした。
それでも、そこで働いているときに一週間コースの技術講習に数回行かせてくれたので、今でも感謝しています。技術を学ぶ上で知識があるのか無いのかで雲泥の差が出ます。

知識経験値向上心が技術の差だと思っております。

天狗の時期

まだまだ見習いの頃のことですが、ある程度の仕事が一人で出来るようになった頃、天狗の時期到来!!

この業界に入り5~6年経った頃には、一通り仕事を任されていました。そこの大将は一回外に出るとなかなか帰ってこない人だったので、一人で黙々と仕事をしてましたね。
自分の技術力アップのための資料作りなどもしてました(笑)
この頃になるとディーラーのフロントの方からも頼られるようになってきた感じでした。

その頃にディーラーが自社の板金塗装工場を立ち上げはじめました。(内製工場)
が、内製工場の従業員は「昨日まで車検整備をしていた整備士!!」が多く、仕上りが悪いままお客様に納車をしてクレームで戻ってくるなんてことざらにありました。「2回内製工場でやり直したけど、またクレームで戻ってきちゃって困ってるんだけど、まっきーなんとかして~!」こんなこともあり、私の鼻はどんどん高くなってました(恥)
同業者の方と、「一通り仕事ができるようになると、天狗になる時期がくるよね(笑)」って今では笑ってます。
私はちょうどこの時期に他の板金塗装屋に移ったので「よかったな~!」って、心底思ってます。
その天狗の鼻を折ってもらえたので(笑)

天狗の状態で独立しちゃうと自分は上手いと勘違いしているので誰も悪いところを指摘してくれないですからね(^_^;)
鈑金塗装屋さんを何軒か移ると、それぞれ良いとこ悪いとこが見れて勉強になりました。

独立!!!

岡崎の板金塗装屋さん外観下積みを約10年続けた後、念願の自分のお店をオープン!!!

とにかく現場大好き♪仕事が大好き♪は自信を持って言えたのですが、経営や営業は全くもって苦手です(^_^;)

人と話すのが嫌いでは無いのですが、話しが下手なんです(T_T)
でも逆に話しが上手な人より誠意は伝わってくれているみたいなので、コレはこれでいいのかな~と♪(笑)

下手に営業テクニックや営業トークを勉強するよりも、お客様に喜んでもらいたいという気持ちと技術力アップ人間力アップに力を入れていきたいと思っております。

 

 

脱線気味のプロフィールを最後まで読んでくださりありがとうございますm(_ _)m

お車でお困りの時に思い出して頂けたら嬉しいです♪

岡崎の自動車板金塗装修理 ボディーショップ槙塚
代表 槙塚聡